「図書館」という舞台がFOLKLORICAの世界観の中心にある理由

公開日: 2026年10月13日

曲も小説も、同じ図書館から始まっている

「Grisaille―鈍色に咲く」も「ラグナログ」も「甘い毒」も、色も時代も登場人物もまったく異なる。それでもどの作品も、設定の出発点をたどると同じ場所に行き着く。架空の図書館だ。曲を作る前に世界を作るのではなく、先にこの図書館という舞台を決めてから、そこに収められている一つの物語を取り出す、という順番で制作を進めている。

「物語を集める」ではなく「物語を収蔵する」場所

この図書館は、新しい物語を生み出す工房ではない。語られなかった物語や、忘れられた記憶が、すでにそこに存在しているという前提で設定されている。制作とは、存在しないものを作ることではなく、すでに書架の奥にある一冊を見つけ出し、埃を払って開く作業に近い。この違いが、FOLKLORICAの作品に共通する語り口の静かさにつながっている。

作品ごとに色が違っても、同じ書架から外れない理由

灰と緑とネオンの「Grisaille―鈍色に咲く」、土色と黄昏の「ラグナログ」、ローズと赤の「甘い毒」。カラーワールドは作品ごとに大胆に変えてよいという方針を取っている一方で、どの作品も最終的には同じ図書館の、どこかの書架に並ぶ一冊として位置づけている。舞台を一つに固定しているからこそ、色や時代をためらわずに変えられる。

主宰ではなく「語り部」という立場を取る理由

about.htmlで触れている通り、FOLKLORICAを進めるYURANEは、プロジェクトの作者ではなく図書館の住人たちの声に耳を澄ませる語り部という立場にある。これは単なる設定上の飾りではない。物語を一から創作するのではなく、図書館にすでにある声を聞き取って紡ぐという姿勢を保つことで、架空の経験や実績を事実のように語ることを避ける、制作上の規律にもなっている。

舞台が一つだからこそ、形式を自由に分けられる

同じ物語を音楽・小説・漫画・映像に分けて作るとき、形式ごとに描く場面を重複させない方針を取っている。本来これは作品同士のつながりを分かりにくくするリスクを伴う。それでも図書館という同じ舞台を土台に据えているため、別々の形式で別々の場面を描いても、最終的にはすべて一つの書架に戻ってくるという安心感が保たれている。

読者が「住人になる」という参加の形

この図書館という舞台は、聴き手・読み手を外側に置いたままにしない。store.htmlで案内している通り、図書館の住人として関わるという参加の形が用意されている。物語を一方的に受け取るだけでなく、同じ書架の中に自分の場所を持てるという感覚を渡すためには、舞台そのものが一つの場所として存在している必要があった。

舞台を固定したことで生まれた、もう一つの制約

図書館という舞台を中心に据えたことで、逆に守らなければならない制約も生まれている。黒・紫・蝋燭・古書といった図書館を連想させる記号に、作品の色や表現を寄せすぎないことだ。舞台が一つであることと、見た目まで均一にすることは別の問題だと考えている。同じ書架に並んでいても、そこに収められている物語は一つひとつ違う顔を持っていてよい。

この書架の奥にまだ何が眠っているのか

図書館という舞台を中心に置く設定は、今後増えていく作品の数が増えるほど、むしろ効いてくる仕組みだと考えている。色も時代も異なる物語が増えていっても、戻る場所が一つに決まっているため、聴き手や読み手が迷うことはない。図書館の全体像や住人たちの詳しい設定は、about.htmlでも紹介しているので、気になった人はそちらも訪れてみてほしい。

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