小説WE'RE HEROES!!

部活発のガールズバンドを結成した私たち。愛機“エクスカリバー”を手に、円卓の騎士のように支え合いながら音を鳴らす。選ばれた英雄じゃなくても、自分たちだけの伝説を、ステージの上に築いていく。

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WE’RE HEROES!!

第四話 空席のベース

黒瀬凛が正式に入部したわけではない。

本人は、何度もそう言った。

「私は入らない」

「一回合わせただけ」

「次で最後って言った」

「今日も聴くだけ」

「手は重ねない」

けれど翌日も、凛は放課後の音楽室に来た。

その翌日も来た。

さらにその翌日も、ベースケースを背負って、何でもない顔で音楽室の壁際に立っていた。

千夏が「凛、今日も来た!」と言うと、凛は必ず同じ顔をした。

「ライブハウス行く前に、少し時間があっただけ」

でも、その日はライブハウスに行く予定などなかった。

玲奈がそう指摘すると、凛は黙ってベースのチューニングを始めた。

岳はにやにやしている。
蒼真は笑いをこらえている。
千夏は嬉しくて仕方がなかった。

「じゃあ、今日も仮仮未満?」

「その呼び方をやめてって言ってる」

「じゃあ、凛」

「何」

「今日も一緒に走ろう」

凛は少しだけ目を伏せた。

「……テンポ、昨日より落として」

「うん!」

「返事だけはいい」

「返事もいいし、走るのもいいよ」

「ギターはまだ荒い」

「そこはこれから!」

「歌もまだ不安定」

「そこもこれから!」

「前向きすぎて腹立つ」

「褒めてる?」

「褒めてない」

そんなやり取りが、少しずつ当たり前になっていった。

千夏にとって、凛のベースは本当に地面だった。

岳のドラムだけだと、千夏はどうしても前へ前へ走りすぎる。
蒼真のギターは横に並んでくれるけれど、まだ少し遠慮がある。
玲奈の鍵盤は空を広げてくれるけれど、広がりすぎると千夏はどこへ行けばいいか分からなくなる。

そこに凛の低音が入ると、音楽室の床が変わる。

古びた木の床ではなく、草原になる。

足を踏み出せる場所。
転んでも、また蹴って走れる場所。

だから千夏は、凛の音が好きだった。

凛本人には、まだ言わなかった。
言ったらたぶん、嫌な顔をされるから。

それでも、音を合わせるたびに、千夏の中でその気持ちは大きくなっていった。

文化祭まで、二十四日。

ROUND TABLEは、まだ正式なバンドではない。

軽音部としても、部員数がぎりぎり。
文化祭への出演申請もまだ通っていない。
曲も未完成。
凛も未加入。

でも音だけは、少しずつ形になり始めていた。

その日の練習も、サビの確認から始まった。

「千夏、二番の入り、走りすぎ」

凛が言った。

「走ってない」

「走ってる」

「チーターだから?」

「自分で言わない」

千夏が笑うと、凛は眉をひそめた。

「笑ってごまかさない。歌詞をちゃんと見て」

「見てるよ」

「見てるだけじゃなくて、意味を考えて」

凛は譜面を指で叩いた。

荒野に立つ 過酷な試練の中
不屈の勇気で 進む道を切り拓け

「ここ、勢いだけで歌うと軽くなる」

千夏は譜面を覗き込む。

「荒野、かあ」

「うん」

「草原じゃなくて?」

「たぶん、草原の先にある場所」

凛の言葉に、千夏は少し黙った。

草原の先にある場所。

千夏の中で、河川敷の緑が広がる。
そこを走って、走って、ずっと先まで行く。
やがて草が少なくなって、風が強くなって、足元が乾いていく。

そこが荒野。

誰も守ってくれない場所。
自分たちの音が、本当に通用するか試される場所。

「ライブハウスみたいな?」

千夏が言うと、凛は少しだけ目を細めた。

「そうかもね」

岳がドラムスティックをくるくる回す。

「行くか、ライブハウス」

音楽室が一瞬、静かになった。

千夏は顔を上げる。

「ライブハウス?」

「外で一回やった方がいいだろ」

岳は軽く言った。

「文化祭でいきなり本番より、外で一回ボコボコにされた方が早い」

「ボコボコ前提?」

蒼真が顔をしかめる。

「そりゃそうだろ。今の俺たち、学校の音楽室でようやくまとまってきたレベルだぞ。外行ったら普通に死ぬ」

「死ぬって言うな」

千夏は胸の奥がどくんと鳴るのを感じた。

ライブハウス。

知らない場所。
知らない観客。
学校ではない音楽の世界。

未知なる世界。

怖い。

けれど同時に、足が動きそうだった。

「行きたい」

千夏は言った。

蒼真がすぐに見る。

「ちー」

「だって、行かなきゃ分かんないじゃん」

「文化祭まで時間ないんだぞ」

「だから行く」

岳が笑う。

「いいね、仮フロント」

「仮じゃないかも」

千夏がぽつりと言った。

全員が黙った。

千夏自身も、自分で言って驚いた。

でも、言葉はもう出てしまった。

「えっと」

千夏はエクスカリバーを抱え直す。

「まだ、ちゃんと決めたわけじゃないけど。でも、最近、仮って言うのちょっと変な気がしてきた」

岳の顔が明るくなる。

玲奈がじっと千夏を見る。
蒼真は少しだけ目を逸らした。

凛だけは、表情を変えなかった。

「私は入らないけど」

凛が言った。

「知ってる」

千夏は笑う。

「でも凛も来るでしょ、ライブハウス」

「私は元々出てる側だから」

「じゃあ案内して」

「なんで」

「未知なる世界に詳しい騎士だから」

「その言い方やめて」

凛はため息をついた。

「……ライブハウスなら、来週の水曜に高校生枠のブッキングがある」

岳が手を叩く。

「いいじゃん!」

「でも、出るなら三曲必要」

「三曲?」

千夏の顔が固まった。

「WE’RE HEROES!!しかないよ」

「だから無理」

凛は即答した。

「普通に考えたらね」

玲奈が静かに言った。

全員が玲奈を見る。

玲奈は譜面ファイルをめくり、別の紙を取り出した。

「昔のROUND TABLEの曲が、他にも少し残ってる」

「えっ!」

千夏は飛びつくように譜面を覗いた。

紙は古く、ところどころ折れている。

タイトルが二つあった。

Blue Grail
Camelot Summer

「ブルー・グレイル……青い聖杯?」

蒼真が読む。

「キャメロット・サマーって、なんか急に青春っぽいな」

岳が笑う。

玲奈は頷いた。

「どちらも未完成。歌詞もコードも途中まで。でも、形にはできると思う」

「一週間で?」

蒼真が不安そうに言う。

「無理ではない」

玲奈が答える。

「無茶ではある」

凛が付け足す。

千夏は譜面を見ていた。

未完成の曲が三つ。
壊れた伝説の断片。
十年前に止まった音。

それを、自分たちが鳴らす。

胸が熱くなった。

「やろう」

蒼真が眉をひそめる。

「ちー」

「無茶なのは分かってる」

「ほんとか?」

「ほんと」

「分かってて言ってる?」

「言ってる」

千夏は譜面を持ち上げた。

「だって、ROUND TABLEなんでしょ。円卓なんでしょ。だったら、一曲だけじゃなくて、みんなで旅した方がいいじゃん」

「旅?」

「うん」

千夏は指を一本立てる。

「一曲目は、出発。草原から走り出す曲」

もう一本。

「二曲目は、試練。荒野とかライブハウスとか、怖い場所」

三本目。

「三曲目が、WE’RE HEROES!!。私たちは逃げなかったって叫ぶ曲」

岳が笑った。

「いいじゃん。セットリストまでできた」

玲奈が少し考える。

「一曲目をCamelot Summer、二曲目をBlue Grail、三曲目をWE’RE HEROES!!にすれば流れは作れる」

凛は腕を組む。

「甘い。三曲とも完成度が低いまま出たら、ただの自己満足になる」

「じゃあ完成度上げる」

千夏が言う。

「簡単に言わない」

「簡単じゃないけど、やる」

「本気?」

「本気」

凛はじっと千夏を見た。

千夏も目を逸らさなかった。

凛の目は、冷たい。

でもその奥には、何かが揺れている。

それはたぶん、怒りでも呆れでもない。

迷いだ。

凛はまだ、戻りたいのかもしれない。

でも戻るのが怖い。

また本気になって、また裏切られるのが怖い。

千夏には、そこまで完全に分かったわけではない。
けれど、何となく感じた。

だから、千夏は言った。

「凛」

「何」

「私たち、たぶん下手だし、無茶だし、失敗するかもしれない」

「そうだね」

「でも、逃げない」

千夏はエクスカリバーのネックを握る。

「逃げない音なら、凛も嫌いじゃないでしょ」

凛は黙った。

音楽室の外から、風の音がした。

窓が少しだけ揺れる。

やがて凛は、静かに言った。

「……一週間で三曲」

「うん」

「毎日練習」

「うん」

「歌詞もアレンジも詰める」

「うん」

「千夏は、歌いながらギターを逃がさない」

「うん」

「岳はテンポを守る」

「おう」

「蒼真は自分の音を出す」

「……はい」

「玲奈は遠慮しない」

「分かった」

凛は最後に、自分のベースケースを見た。

「私は、サポート」

千夏はぱっと笑った。

「サポート騎士?」

「違う」

「サポートベース?」

「それでいい」

「サポート円卓?」

「黙って」

凛は少しだけ顔を背けた。

でも、もう帰ろうとはしなかった。

岳がドラムスティックを掲げる。

「よし! 来週水曜、ライブハウス初陣だ!」

「初陣」

千夏はその言葉を繰り返した。

初めての戦い。

学校の中ではなく、外の世界。
草原の先の荒野。

怖い。

でも、胸が鳴っている。

「円陣する?」

千夏が言うと、蒼真が即座に顔をしかめた。

「また?」

「初陣決まったんだよ。するでしょ」

岳はもちろん手を出した。

「する!」

玲奈も重ねる。

蒼真は渋々、でも昨日より自然に手を重ねた。

千夏はその上に手を置く。

そして、凛を見る。

凛は壁際に立ったまま、腕を組んでいる。

「凛」

「やらない」

「まだ?」

「まだ」

千夏は笑った。

「じゃあ、席だけ空けとく」

「好きにすれば」

千夏は頷いた。

円卓には、まだ空席がある。

でも、その空席の近くに、凛は立っている。

それだけで、今は十分だった。

千夏は息を吸う。

「WE’RE——!」

岳、玲奈、蒼真の声が重なる。

「HEROES!!」

少し遅れて、誰にも聞こえないくらい小さく。

凛の唇が、また動いた。

千夏は見逃さなかった。

でも、何も言わなかった。

言えば、凛はきっと怒る。

だから千夏は、ただ笑った。

そしてエクスカリバーを構える。

「じゃあ、初陣の準備しよ」

岳がカウントを鳴らす。

カン、カン、カン、カン。

音が始まる。

未完成の三曲。
未完成のバンド。
未完成の英雄たち。

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